top of page

mement mori BUCK-TICK

歴史的名盤となった天使のリボルバーから約1年半、私達に届けられたアルバムmemento moriはその天使のリボルバーの質をそのままに深く、普遍性を持つアルヴァムになった。

だが彼等は爆竹的表現を棄てた訳ではない。ブラスト音とと共に彼等の音楽世界は変わらず響き続けている。真っ赤な夜に。夜に。

このまま俺夜になる何も無い

このまま夜と愛し合うさ

このまま俺は深くなる果てしない 夜愛し合うさ

 

このまま俺は雨になる 雨という名前さ

このまま俺は降り続く終わらない愛と愛し合うさ

お前の肌を濡らすのさ 永遠が零れ落ちて行く

この歌詞からも櫻井敦司のなまめきと共に永遠性は雨になり恋人に対して肌を濡らすと、そして永遠が零り入り落ちて行くという現在の永遠性が表している。だがこの肌冷たさがこの時代の永遠なのだ。

すなわち彼等はこの最初の曲で永遠の外側の世界で死生観感じさせているのだ。

同じブラスト音で続くLes Enfants Terriblesでは死生観のまま挑発的な少年少女に水を滴らせて狂い咲かせるとパペットの様に独白している。

oh oh 水滴るBOY&GIRL

oh oh 蕩けそうなロマンス

oh oh 浮きよめくロマンス

oh oh 粋に狂い咲け Oh Year

これが最上階のぎりぎりの所にブラウンニングの劇的な詩的表現と重なる。

この二曲では既に永遠を失う代わり愛する人を夕陽で真っ赤に染められるという秋へ旅のへの誘いとも言える夕陽のロマンスが込められている。

雫り落ちる永遠、恋人に触れる度に永遠は掠れていく。雨が雫れていく。

そして曲はシングルカットされたGALAXYに移る。

ギターのリフレインが印象的な曲で櫻井敦司は少女の姿がと言う歌詞を選び書いてもそれがこの曲のキャッチーさと重なり合い曲のきらびやかな曲になっている。

同時に詩の印象、曲調から違うと思われるがGALAXYはBuku-Tickの爆竹的な。

そこで櫻井敦司は歌う

真夜中 君は夢見て泣いている とても奇麗な夢を見た

真夜中 君は夢見て震えている何も悲しい事は無い

と優しげな言葉で語りかれる処は彼の続く飛翔感を感じさせる隠喩に当て嵌められており、彼女ーー天使の飛び立ちを促している。

 

そして曲はアンブレラと移る。そこは雨降り 一人蝙蝠逆さ吊るしの堕天使

彼が水玉模様 愛しの君アンブレラ。

黒いフリルさ 一人蝙蝠 雨め上がり堕天使 夕陽に映える影の移動は 宙返りのアンブレラ

この歌はラブソングと言って良い。

ああ、君に会いたいとsorrowを込めた歌でもいもい身かもらすにのラテン語の意匠にそって深い翳りを感じさせる。

そして真夏の朝に黒い花が咲くと恋人に促す様に呼ぶ。退廃の焦熱と愛がある

mement moriがラテン文化の言葉なので愛の歌が赤裸裸の書かれているのが櫻井敦司のテーマの様に思われる。

そして櫻井敦司の勝手にしやがれが櫻井敦司の勝手にしやがれは櫻井敦司のヴォーカリストとしてのもBuck-Tickのメンバーの奥深を表している。

 

それでもいい雨ならいいと独白する櫻井敦司の言葉は彼の世界観ーー狂ったビエロすなわちビエロルフから笑えないビエロに歩んで来た彼の刹那を表しそれはヌーヴェルバーグの彼自身の勝手にしやがれになっている。

山が嫌いなら、海が嫌いなら、都会が嫌いなら、勝手にしやがれの代わりに彼はキスや花束はいらないと独白している。

そしてジャン・ポール・ベルモントが言った勝手にしやがれが自分に向けられた言葉と対する様に彼の勝手にしやがれは彼のミストレス愛人に向けられているみたいだ。幻想だが。だからこのような台詞になる

帰るんなら勝手にしやがれーーと。そして愛も恋も言う彼は死に場所で踊り続ける。

 

寂寥の夜を行くコヨーテ。

そしてCoyoteでは曲の調子が変わりメランコリックな曲に変わる。

背中の骨がむ軋むほど抱き合う二人、そこに永遠がある。

コヨーテる寂寥の闇をゆくコヨーテは何処か弱々しく不吉な前兆を夜に感じる。

この曲は実際のコヨーテをモチーフにして語られる。夜に彷徨うオオカミに

に似るがやや小型で、夏では明るい黄褐色、冬は灰色を浴びている。だからそこ天国を目指し同時に寂寥感を感じさせる繰り返す。俺の名前を呼んでくれ。僕の名前呼んでくれという声。そこには過ぎ去った愛の記憶がある。

愛の情熱。それは生きている間決して失わないもの。それが弱々しくも強く歌われている。

その情熱が名を呼んでくれと囁かれ、そして髪飾りにハイビスカス、夕刻にはスーサイドを感じさせるその刹那に恋人を抱くのだ。背中の骨がきしむ程に。

髪飾りはハイビスカス 夕焼けにsucide背中の骨軋むほど 抱きしめたら一つかい 許しのキスを下さい

もうこんな夕日は

今夜はやけに奇麗 夕日と君と潮騒

胸を焦がす情熱

抱きしめたら踊るかい 

もう二度とこんな夕日は

今夜はやけに奇麗だ 夕日と君と潮騒

胸を焼き焦がす情熱。

抱きしめたら踊るかい YESのキスを下さい もう二度とこんな夕日に 会えないだろう。

こう刹那と永遠の両方をの道を行くmemento moriのテーゼが込められている・

 

そして星野秀彦の作曲したピアノのイントロが印象的なMessageが響き渡るる静かにるそして劇的に。

果敢ない羽根を持って訪れた彼女。僕には8日目の朝が来たよと書かれている様にバイブルの世界観をモチーフ作られた曲で戦争の灯だと言う混乱の世界に美しく流れるラヴソングとして歌われている。

世界が崩壊してもこの手は離しはしない。世界が壊れそうとも。

櫻井敦司は人類が戦争を始めた8日目にいる。

それは何も無い闇から訪れた彼女に対して恋い焦がれる自分と現実に争いに満ちた世界が幻だろうと祈りを込めて語っている。

だからこの言葉が生まれた8日目を争いは続く。生は喪われる。暴力と狂気が支配する世界るその最中に幻の様に降りて来た天使に心奪われる、そして彼女は命ある限り、青空の下で歌う。幻想の青空で。

 

ここにラテン文化の愛のイメージが引用されている。

眠っている時彼女は天使で起きているときは小悪魔だと。

 

それは「彼女が降りて来た」という言葉からバイブル的なイメージを曲全体に持ち込んでいる。

 

君を見ている 今はここで

青空 君は命限り歌う。君を見ているずっとここで僕に8日目の朝が来たよ

と。

 

争いは続いている。

だからこの言葉が生まれた8日目迎えたと。争いは続く。生は失われる。暴力と狂気が支配する世界るその最中に幻の様に降りて来た「天使」に心奪われる。そして彼女は命ある限り、青空の下で歌う。そして彼女が出会った彼は争いに満ちた世界がまぼろし何だと思う様になる。

青空の代わりにミサイルが埋める世界で。

 

8日目天の神の御業が7日で終えたので人類だけで進んで行った初めての日。その日は戦火の炎に包まれていたる天使に小悪魔ただ羽の形が違うだけで。

愛する人が歌う。その歌声をその歌声、その姿をずっと見ている。だがその姿も幻の様に果敢ない。

 

ここまで前半と言えるパートだが純粋なラブソングと言える曲多い。Buck-Tickなりのラブソングだが。雨で肌で濡らし、そこに永遠を見出すシューレリアリズムにのっとった真っ赤な夜。寂寥な夜に歌われるCoyote。そしてBuck-Tick史上に残るラブソングとしてのピアノのから始まるMessageるそしてそれはmement moriへと続いて行く。

 

Messageのその姿の方が幻なのか?その果敢なさを絶つかの様にヤガミトールのリズムに導かれmement moriへと続く。そしその後Buck-Tickの曲調が変わる。Jonathan Jet-Coasterや同じ愛の歌とも言えるスズメバチのようにBuck-Tickの曲には滅多にソングライティングしないタイプの曲。Lullaby-IIIのような今までのBuck-Tick的な楽曲が続く。そしてパンキッシュである「天使は誰だ」と。そのチェンジングはmememt moriが。

 

mement moriーーいつか自分が死ぬか忘れるな。

このアルバム、Buck-Tickの今までの活動でテーマにされれいたもので、その集大成が存在しているのはmement moriが存在する為であり

。LOVE AND DETH愛と死、出会いと別れLOVE AND DETH愛と死忘れないさと愛と死について語られるこのチューンはヤガミトールの印象的な始まり。一種の寓話的な構成とともに現実の月日別のものを表している。すなわち昼と夜をーー

mement moriーーBuckTickアルヴァムの表題曲であり、愛と死について語られている。Buck-Tickのキーパソンである今井寿の曲と歌詞が異端的なメロディラインと櫻井敦司のヴォーカルによって演奏されるこの歌は。

LOVE AND DETH 出会いと別れ 愛と死忘れないさと語られる様に生きて行く事と死んで行く事を刹那とディンによって語られる。WowWow声と共に繰り返される愛と死。

その言葉はこの言葉に集まって行く。

 

mement moriーーいつか死ぬ事を忘れるな。Skell thingとも英訳されるこの曲は限りない生命の行方について語られている。

 

BOYS AND GIRLS 今宵 踊り明かそう

Baby don't cry ダイジョーブ 

人生はOh year 愛と死

 

このパンキュシュな言葉の裏にmement moriの総じたテーマが含まれている。それはインクの様に暗く重いものの前にしてのプライマルな叫びの様なもの。

だらこそmemento moriのこの曲に希有性が存在している。間奏の今井寿のギターにも。そり間奏が絶たれるように櫻井敦司のLOVE AND DETHの言葉に遮られる。

人生は愛と死それ以外の確かなのは無い。そして愛は移ろいやすく、死は必ず訪れるもの。だからこそ人間は生きているのだと。本当の人間達は。

苦しみもある嘆きの瞬間もきっとあるだろう。だがそれは全て愛と死の為。

そして人生は愛と死と言うリフレインの最後にこう歌われている。

 

DANCE DANCE HA!HA! RMENBER TO DIE

 

memento moriーーいつか人には死が訪れるのを忘れるな

 

そしてmemento moritoから飛び立つ様にる飛び去った後に、そのまま疾走するJonathan Jet-Coasterそしてここからは純粋な私的な恋のうらは「全体的に広がる愛」がテーマとして出て来る。Jonathan Jet-Coasterは高速のリディムに櫻井敦司の高速のリディムに乗り歌う声はスピードそのままであり、リスナーに共犯者的なすべきものを与える。

そしてここでCENTRY BOYという言葉がある。それはTrexの20thCENTRY BOYのアバタであり一瞬が見つめあう様な。これがこの時代のCENTRY BOYという事になるのか、爆音と、嬌声の続く中で。

 

飛ばせCENTRY BOY。君はそう堕天使。

狂えCENTRY BOY。闇を切り裂くんだ。

 

そう飛び出した少年はふと気づく。

「僕の羽は きっと 赤く染まる きっと」

ジェットコースタの上昇と下降を繰り返し少年がこの真実を告げている。

これは過去のロックが倣うように上昇と下降をものすごい早さをやっている。マシーンの様に。だが感情もある。

 

飛ばせ CENTRY BOY 君はそう堕天使

狂え CENTRY BOY 闇を切り裂くんだ

飛ばせCENTRY BOY 君はそう悪魔

狂え 飛ばせCENTRY BOY 闇を切り裂くんだ。

 

この言葉の通り、この曲の主人公は深紅の羽根を持った悪魔となりこのレクエイムの果てにうる闇を裂く。こりは彼だけに許された表現。

其処から垣間見えるものは?

 

そしてミリオンナイトに耳に劈くスズメバチの異質な愛。Jonathan Jet-Coasterの主人公かせ蜂の巣巡り込んだのも徴になって現れる。そしてカサノヴァ、女王蜂が劇中劇の様にはりをとらがせて穿つのをソングライティイングした。これもブラウニングの挑発的手法だ。この曲を聴くと耳に劈く、歌詞の(ある意味性的な)とを感じる事が出来る。それは曲から来ているもので、シャンパンの泡の様なギターのギターのシャンパンのシャンパン泡の様なギターの間奏、その間奏と差異を感じる最後の曲部分ににセジュクションを感じる。

-Hip Boon Boon Boonハチガトブー

尖らせてもっと もっと もっとBaby

そしてそこから続く様にLullagy-IIIの印象的なミステリアなイントロが鳴り響く。 

 

ヤガミトールのカウントから始まるLullagy-III

樋口豊のベースがこのミステリアスさを誘い謝肉的な響きがそれを教える。

酔いどれダム・ドラの店 ようこそ パーティーが始まる

紳士、淑女、さ迷う客 皆さんシャンパンの泡となれ

「・・マダム 酒をくれよ」

「ウィムッシュ ケセラセラ!・・ダイス転がす奴はJoker 見ろよ 13のぞろ目さ」

「そしていつか、何処かであったメフィスト」の言葉

この一連の表現は櫻井敦司にしか出来ないで、デカダン・ロワイヤルとも言える世界を持っている。そしてその言葉は永遠の元を行くかの如き表現をする。

時を止めて乾杯しよう

 

時を止めるーそれは芸術表現のもっとも困難な事。なぜなら人はまだ永遠を掴んでいないからだだからこのパーティーの行方は退廃のそれになっていく。

 

なんて素敵 優しく殺して 囁く ひび割れているルノアール

夢見がちの事君の事だから 今夜も流れ出すROMANCE

ここで櫻井敦司は名曲「ROMANCE」に倣うべき表現を行った。それは完璧な彫刻の鋳型を変える様なものだ。

彼自身にとってそれはこの曲に必要だった言葉かもしれない。それで後述の「天使は誰だ」とは違う形でまさしく流れ出す様にロマンスのあの美しさを形を変容させる形でこのLullagy-IIIそれで後述ので普遍的に表現しているのだ。

 

「マダム酒をくれよ」

「ウィムッシュ ケ・セラ セラ!」

「一杯トロケル様なアブサン」

 

お休みのくちづけをしよう

 

何て素敵 優しく殺して 僕らを彩る様なシャガール

伏し目がち貴方首筋 噛み付く 溢れ出すROMANCE 

何て素敵 優しく殺して 囁く ひび割れているルノアール

夢見がちの事君の事だから 今夜も流れ出すROMANCE

酔いどれダム・ドラの店 さよならパーティはおしまい

 

このデカダン・ロワイヤルとしか言う事できない謎めいたこの曲は主人公がメフィストと会った(何らかの誘惑を受けた)生命契約の為mement moriのテーゼに倣っている。

そして純粋なロックンロールとして書かれているがここでも主人公がびしょぬれという歌詞がある、櫻井敦司は花やピエロなどのチェンジリングを遣うがこの雨の描写も前作Rainとともに自身のチェンジリングであり、彼の孤独感を雨として変え、この曲ではゲンブール的な表現で表している。

 

そしてセレナーデー愛しのアンブレアーsweetyー。初期のBUCK-TUCKポップ感を感じさせる曲が入っているのはBUCK-TICKのオリジンとして入っている事が多い。この曲では男女の感情表現をソングライティングしている。そして意匠は雨のモチーフが遣われているがの遣われ方には大きな相違がある。

悲しむ女性と男性の愛の歌はBUCK-TICKこの歌はアンブレラにに対する男女の恋を歌っている。

 

同時に銀河の片隅でであったというGALAXYにも通じた爆竹的表現が行われていてmemento moriのアウトロの間のひと呼吸ついた形になる。

 

天使は誰だ。

嘆きのリボルバー。ジョンを撃ったのは誰だ・・という出だしで始まる今井寿の作詞。作曲のこの曲はセンセーショナルで鋭くソングライティングされている。この曲がスケールの大きさに倣ってる。同時に今井寿の櫻井敦司に対する視線についても判るもの曲である。

 

嘆きのリボルバー 君は暗闇 天使の孤独 リボルバー

ライ麦畑でイキっぱなしのジーザス。

 

BUCK-TICKはジョン・レノン銃撃事件や、オズワルトともにモチーフにされている。そこ表現方法が成熟している。

そして冒頭から現実から今井寿世界観が描かれている。

さあ。無限だ一晩中 貪る命さ ご覧よあれが貪る生命だ。

それは感受性を途方も無い所に持って行くコアを持っている。

 

世界が点滅して 拍手喝采のラストショウ 鋭い言葉が続き。

ーオレは夜で オレはSHOOTINGSTAー

 

そして最後はリフレインで天使達の姿を遂に捕らえている。

 

闇に這う天使達 愛の太陽浴びて融けちゃいたい。

キミ 時々 気が触れる 愛 愛 LOVELOVE

 

人でなしルシファー 林檎食べてトロけちゃった。

 

堕天使の群れ。

 

彼等が探した彼等自身の天使達は見つかり。そしてHEVENへと続く。

 

そしてこのアルバムのアウトロであるHEVENへと続く。

その目はCREZYでLOVERY BULUBULU SKY

生まれ 泣き叫び 笑い 愛し 恋を・・しよう

金網越しに交わされるKISS

国境 抱き合うANGEL 舞い上がる羽根の影は 一つ

国境や金網の表現は極東I LOVE YOUが遣われていて世界観で外側の世界に向けられたものである。争いに満ちた世界。その世界への。

 

そして天使は舞う。

君は舞う空染めて

君は舞う 空いっぱい舞い上がる

と。

そして櫻井敦司の歌声が響く。

素晴らしき 生まれいく世界で

桜咲く風に吹かれて

この素晴らしき翳り行く世界で

胸に咲いた赤いカーネーション

この生まれいく世界と翳り行く翳り行く世界での表現は櫻井敦司の感性からから出た言葉で聖なるもの(生まれいく世界と翳り行く世界と)醜さ混じりあう表現、それ等二つの月日を行くものを含めた櫻井敦司の感性。

素晴らしき生まれて行く世界 素晴らしい腐り行く世界。

そこにAUTO MODの様に腐り行く世界。そこに赤いカーネーションが咲く。

 

そしてリプライズされる

そしてこのアルバムのアウトロであるHEVENへと続く。

その目はCREZYでLOVERY BULUBULU SKY

生まれ 泣き叫び 笑い 愛し 恋を・・しよう

もがき 歌歌い 踊り 愛し 恋を・・恋をしよう

銃声 眠れない夜も終わる

雨に濡れた君 まつ毛震わせて蝶になったよ。

ここに櫻井敦司の祈りがある。希望も。望みーー月を亡くした王様であっても見る事は出来る。あまりにも生々しい生の営み。HEAVENーー

 

同時にここで書かれている蝶は女性を示すもので。蝶は芸術のルーティーンの中で植物の恋としての描写もあるが、女性として語られている・その蝶の羽撃きと天使の羽撃きを重ねて表現している。

 

その天使は空に留まり愛する人の、この地上の行方を見つめている。

そして櫻井敦司の

君は舞う・・から彼の詩世界が続く。

 

この素晴らしき 狂いゆく世界で桜咲く 風に吹かれて

この美しき腐り行く世界で

桜咲く 風に吹かれて

胸に咲いた白いカーネーション

この美しき生まれ行く世界で

桜咲く 風にに吹かれて

この美しき 翳り行く世界で

胸に咲いた赤いカーネーション

 

BUCK-TICKが作り上げた愛と死。

音楽が予言していた様に本質的な意味で人類の歴史は終わった。レクイエムのただ中にあるように全ては腐り行く。美しいものは次々と死んで行く。

その死を越え、彼等なりのそれらのの復活を演奏している。音楽を愛するもの、芸術を愛するもの生き残ったヒーザン達に対して最後にひと呼吸あけ繰り返される赤いカーネーションの言葉のように2009年にリリースしたこのアルヴァムはその音楽性の成熟度とともに強い生へのメッセージを与えてくれる。彼等なりの表現で。だから白いカーネーションが赤いカーネーションになるのだ。狂い咲く世界で。

その矜持memeto moriーーいつか誰にも死が訪れるという言葉に集約されている。

 

人生は愛と死。

 

 

memento moriーーそれは人間の愛と死の鋳型であり、人はそこを飛び立ち自らの生を生きている。

 

Text 1 2 3 4

bottom of page